藤田まことの晩年の代表作「剣客商売」で、藤田が演じる小兵衛の息子・大治郎の二代目を演じたのが山口馬木也だ。昨年公開した映画『侍タイムスリッパー』がロングヒットとなり、今や時代劇の旗手となった彼にとって、藤田まこととはどんな存在なのだろう?
剣客商売4 2月24日(月) 午前10:30〜全11話 ホームドラマチャンネル
1998年にデビューした山口が「剣客商売」に抜擢されたのは2003年のこと。初代の渡部篤郎が多忙で降板し、その後任としてだった。
「若かったんで、『やったあ、ラッキー!』くらいにしか思ってなくて、『大丈夫か、お前?』って当時の自分に言いたいです(笑)。でも渡部さんの後任を誰がやるのか期待されていることなど全部受け止めていたら、たぶん僕は出来なかったと思いますね。無手でエイッて乗り込んでいったようなものです」
それゆえ、最初は苦労したという。
「ファーストカットがみんなでご飯を食べるシーンだったんですけど、時代劇なのでいろんな所作がついてくるのに加えて、様々な方向から撮るために、ご飯や味噌汁をどういう順番で食べたかも覚えていなくちゃいけない。半分パニックです。一滴も唾が出なくて、ご飯を呑み込めずにもごもごやってました」
そんな山口を、初対面から優しく包み込んでくれたのが藤田だった。
「キャストやスタッフも不安だったと思います。大治郎はみんなで大事に守ってきた役で、そこに、どこの馬の骨かもわからないヤツが急に来たんだから。だけど藤田さんが『あれ、俺が知ってる大治郎じゃないな。帰ってきてえらく顔が変わったな』とかおっしゃって、現場を和ませてくれるんです。そして口をもごもごさせている僕に『こういう時は椎茸みたいな煮物を食べるんだよ。のど越しがいいから、セリフも言いやすいだろう?』と教えて下さって。その日撮影を終えてみると、もうファミリーに入れてもらっていた感じでした」
「必殺」の現場では共演者の芝居に対して厳しい場面もあったと言われる藤田だが、「剣客」の現場ではとても優しかったという。
「僕はマッキーと呼んでいただいて、怒られたこともありません。それまで貧乏でボロボロのアパートに住んでいたのを、『剣客』が終わって、ちょっときれいなマンションに越せましたって報告したら、共演者に『マッキーがちょっといいマンションに引っ越したってよ!』って、本当に喜んでくださって」
ただし、藤田がスタッフを厳しく注意している場面は2度だけ目撃したという。
「1度は舞台でプラスチックの消えものがバラバラになって運ばれてきたのを見た時に、『こういうことが一番大事なんだ。心がない』って。もう1度は舞台のめくり台に『小兵衛の家』だけ、他より大きく書かれていたのを見て『情緒が無い。書き直せ』と言って。でもその気持ちはわかるし、どちらも藤田さんらしいなって思います」
そして山口は2003年から2010年に藤田が亡くなるまで、8年間「剣客」に携わった。
「あれが無かったら今、役者を続けられていないですからね。僕の原点になっているのはあの作品だし、芝居の原点になっているのは藤田まことさんなんです」
藤田が亡くなって15年が経つ今、山口はそう言い切る。
「今でも自分の映画を見たら、ここは藤田さんの影響を受けているっていうのは自分で見てわかります。ある時、藤田さんがそっと扉を閉めるシーンがあったんですが、なぜか僕、そこで涙が止まらなくなって。とある家庭の事情を聞いて、自分にできることは何もない、そっと出ていくしかないなという芝居だったんですけど、こういうところに思いは出るんだと思ったんですよ。例えば『侍タイムスリッパー』で僕がおにぎりを食べた時に『磐梯山の真っ白な雪のようだ』と涙するアドリブがあるんですけど、その発想自体が藤田さんの影響で。芝居のやり方でなく、藤田さんがものをどう見て、人にどう接していたかに、すごく影響を与えてもらっていると思うんです」
そしてこんなことも語ってくれた。
「今でも藤田さんに守ってもらっているのは感じますよ。映画の初日には『ちょっと緊張してるんで、お願いします』と頼ってみたり。舞台の長い公演で気力も体力もなくなっている時に『今日は藤田さんが観に来てくれるかもしれないから頑張ろう』と思ったり。〝困った時の藤田さん〟で、いまだに利用させてもらっています(笑)」
本物の侍が現代にタイムスリップしてしまい、時代劇の斬られ役となって生きていく様子をコミカルに描いた『侍タイムスリッパー』は、山口の初主演映画にして、単館上映から始まり、瞬く間に300館以上まで上映館が拡大する大ヒット作となった。もし藤田がこの状況を見たらどう言うか聞いてみたところ…。
「一度ご病気をされて舞台が飛んだ時に、『この借りは絶対返すからな』っておっしゃったんです。この映画がヒットした時に、そのことを思い出したので、『借りは返したぜえ』っておっしゃっているんじゃないですかね」
そう笑った後で、こう打ち明けるのだった。
「本当に僕の中では、大きい大きい方で。だからあまり藤田さんのことをしゃべりたくなかったというか、しゃべれなかったんですよ。思い出すと感情がちょっとおかしくなっちゃうから、はぐらかし、はぐらかしじゃないと。実は、今日取材に来るまでも、すごく怖かったんです。だけど今回、映画がヒットして、もう名前を使わせてもらっていいかなと思えるようになって。最近やっと、藤田さんのことを話せるようになったんです」
一つ、ハードルを越える作品が出来たという自負なのだろう。今後は時代劇とどう関わっていきたいと考えているのか。
「真田広之さんという、全てを投げうって『SHOGUN 将軍』のような作品を作られた方がいる以上、僕に語れることはないと思ってしまうんですけれども。ただ、小中学校に通う子たちに『侍タイムスリッパー』を無理やり映画鑑賞会で見せてくれないか、とは言い続けてますね。小学生の息子がチャンバラごっこを始めたりするのを見ると、ものすごく可能性を感じるんですよね。これからの子たちに時代劇って面白いよとわかってもらえたら、彼らが大人になった時にまた面白い時代劇を見せてもらえるかもしれないし、うまいこといけば参加させてもらえるかもしれない(笑)。そんなことを思っています」
藤田の思いは確実に山口に引き継がれ、それがまた次代へと受け継がれていくのだろう。
1973年2月14日、岡山県出身。98年、日中合作映画「戦場に咲く花」で役者デビュー。03年に「剣客商売」で注目を集める。代表作に映画『雨あがる』『告白』など。24年、初主演映画『侍タイムスリッパー』がロングランヒット。『侍タイムスリッパー』で「第37回日刊スポーツ映画大賞 ・石原裕次郎賞」主演男優賞。