来年、結成30周年を迎えるお笑いコンビ、おぎやはぎの2人がMCを務めるカートークバラエティ番組「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」(BS日テレ)。2011年の放送開始から10月で14年目に突入したのを機に、小木、矢作両氏が取材に応じ、出会いからコンビ結成の経緯、最初の愛車との思い出や番組での印象深いゲストなどについて語った。
BS日テレ 毎週土 後9:00〜9:54
脱サラして芸人の道へ「本当にやりたいことってわけでもなかった」
——おふたりの出会い、友達になったきっかけは?
矢作「高校3年で同じクラスになって、僕から話しかけたのがきっかけですね」
——お互いの第一印象は?
矢作「高1の時から通学電車の中で(小木に)すごく注目してたんで、『あいつと同じクラスになった!』と思って話しかけました。小木は『いい中華があるから食べに行かないか』と誘われたって言うんですけど、僕は覚えてなくて」
小木「共通の友達は教室にいたんですけど、それまでなぜかしゃべんなかったよね」
矢作「『負けたくない』みたいな気持ちがあったのかもね。『先にしゃべりかけたほうが負けだ!』みたいな」(笑)
——おふたりとも高校卒業後にサラリーマンを経験したあと、矢作さんからの誘いで芸人の道に進まれたそうですが、どうして芸人になろうと?
矢作「(サラリーマンを)やめなくてもよかったんですけどね、最初から(芸人の)仕事があるわけでもないし。23歳の時、僕は貿易の仕事で中国の上海か西安のどちらかを担当することになりそうだったんです。そうなると、日本に帰ってくる頃には28歳ぐらいになっていて、やりたいこともできないでしょ? だから『決めるなら今だ』と思い切ってね。本当にやりたいことってわけでもなかったんですけど。軽い気持ちでしたね。一大決心でもないです」
——小木さん、誘われた時の心境は?
小木「『じゃあ、やろうよ』と軽い感じでした。僕も仕事で将来が見えなくなっていたというか、会社で尊敬する大先輩が、毎日昼ご飯にカップ麺しか食べてないんですよね。英語もペラペラですごく仕事ができる人なのに、そういう姿を見ていて悩んでいたちょうどその時に、『楽して稼げるよ』って言われて『そっちの方がいいわ』と」
——仲のいいコンビとして知られていますが、お互いに一番リスペクトしているところは?
矢作「絵になるところですかね。唯一無二、オリジナリティーがすごいですよね。本当に代わりがいない人って感じ」
小木「発想力とか、人に期待しないで自分でなんとかしようとするところ(矢作爆笑)。そこは尊敬しますね」
——逆にこれだけは許せないところは?
矢作「許せないほどのことではないけど、よく、さまぁ〜ずさんからも言われるんだけど、小木の第一印象って高貴な人のように見えるんですよね。本人にはその気はないんだけど、そう思われたら損だから直すじゃないですか、普通は。小木は直さないんですよ。若手のうちは誰にもこびずに自分を貫いているようでかっこよかったけど、芸能界入って20年、30年経って立場が上になってくると、普通に偉そうにしてる人になっちゃうでしょ?(笑)だから、逆に腰を低くしてたほうがいいよって言ったことはあります」
小木「時代に合わせなきゃいけない、とは考えていますけど、人間そんな簡単に変われない(一同笑)」
一番うれしかったゲストはあのふたり…
——「愛車遍歴」にちなんで、最初に手に入れた愛車との出会いはどんなふうでしたか?
矢作「僕が19か20歳の時なんですけど、フィアット パンダのマニュアル車をちょうど100万円で買いました。埼玉の中古車販売店に買いに行ったのを今でも覚えてますね。5年ぐらい乗った頃かな、当時付き合ってた彼女が運転しているときに追突されたかなんかで廃車になっちゃって(一同笑)。トラックに乗せられていくのを見送る時、すごく悲しかった」
小木「自分でお金を払って手に入れたのはプジョー 405 MI16。19歳ぐらいの時に、当時の彼女と歩いていてコーヒーが飲みたくなって、『ディーラーに行ったら営業マンの話さえ聞いていればタダで飲めるじゃん』って言って、近所にあったディーラーに、遊び的な感じで入ったんですよ。プジョーがパリ・ダカール・ラリーで4連覇していた時代で、もともと興味もあったんで、コーヒー飲みながら実車を見ているうちに『やっぱかっこいいな』と。見積もり取って、今なら決算前で安くできるって言われて、こっちも『親と相談します』みたいな感じで。570万円から100万近くオプション込みで値引いてくれて、親に払ってもらって、あとから分割で返す形で買いました。5年ぐらい乗って、トータルで400万ぐらい修理代かかりましたよ(一同爆笑)。すんごい壊れました。で、親が『もういい加減にしてくれ』ということで、車の買取専門店を回ったんですけど、どこ行っても査定が0円で。いくらかでも値段がつくものだと思ってたからガッカリして。そんななかでフランス車を専門に扱っている店に行ったら、20万で買い取ると。しかたなくそこで売って、『なんだかんだで900万近くかかった車が5年でたったの20万か…』と思いながら店の前の停留所からバスに乗って、帰る途中で西武自動車に寄って、もう手元にないプジョーのエアコンの修理代の16万円を払って、家着いたら4万円でした(一同笑)」
——おふたりとも、最初の愛車との別れはなかなか悲しい…
矢作「たしかに!」
小木「そりゃあつらいですよ。だって、なくなったのに4万円ですよ!たった!」
矢作「あの頃の輸入車のリセールはやばかったね…」
小木「最初高いわ、リセールは安いわ…そんなの知らないし!」
——番組で初めて実車を目にして驚いた、感動した車は?
矢作「山本昌さんのランボルギーニ ミウラですね。普通に見られる車じゃないし、しかもめちゃくちゃ程度のいいやつなんですよ」
小木「俺はフェラーリ 512BB。運転させてもらえたことが信じられないくらい。スーパーカーブームのときに一番最初に好きになった車だったので、夢のようでした」
矢作「幻すぎてね。あとは、京本政樹さんのトヨタ・アルファードだよな。あの人後部座席にしか乗らないのに、運転席と助手席のドアがガルウイング(跳ね上げ式ドア)なんですよ。意味わかんないでしょ? そこ、乗らないんだから」
——これまで番組に迎えたなかで一番思い出深いゲストは?
小木「とんねるずのおふたりはサプライズだったんだっけ?」
矢作「100回記念で、タカさんノリさんが連続で来てくれたの。あれすごいよ」
小木「当時、おふたりがテレビ番組のゲストで出るなんてありえないから、びっくりしましたね」
矢作「うれしかったね」
小木「うれしかったですよ、ホント」
——収録中のハプニングで印象深かったのは?
小木「漫画家の江川達也さんが、目の前でお父さんのことを思い出して泣いちゃったときですかね」
矢作「ああ、あったねぇ」
小木「目の前で泣かれたときの対処法を知らなくて…(笑)」
矢作「急に泣かれて『何泣いてんの!』みたいな感じになっちゃったんだよね」
小木「で、江川さんから『くそだな』って言われて」
矢作「『こういうときはもっとってくれよ! お涙でかぶせてきたりとかさ、もっと泣かす方向にするだろ!普通』って(一同笑)。あんな、泣いてるほうからダメ出しされんの初めてだもんな」